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 ★ 徳川家康の東照宮 ★ .




☆東照宮は東照大権現(徳川家康公)を主祭神として家康ゆかりの地に祀られている。
東照大権現とは、東から照らす朝日のように勢い盛んな神の意味だそうです。


  
   人の一生は重荷を負て
         遠き道をゆくがごとし
            いそぐべからず
                  (東照公御遺訓)
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久能山東照宮  徳川家康は天文11年(1542)12月26日戦国乱世の世に生まれた、周知の通り2百年余りの天下泰平の江戸時代を築き、元和2年(1616)4月17日に薨去され、久能山東照宮に葬送された。
久能山東照宮 久能山の西、京都に向かって駿府城、母親「お大の方」が子受け祈願した鳳来山東照宮、生誕の地、岡崎の東照宮が一直線上に並んでいます、家康公の墓所、神廟は西を向いて建っています。これは太陽が東から西に沈み、再び東に表れる太陽の如く家康公が神として再生する為の葬送の地とされたそうです。


世良田東照宮 世良田東照宮  は群馬県尾島町に有る。尾島町と言っても知らない人の方が多いかと思いますが、埼玉県深谷市と群馬県伊勢崎市の中間に位置するこの地は津軽藩の飛び地だった事から毎年旧盆に弘前の「ねぶた祭り」をやって賑わってます。この尾島町世良田に世良田東照宮は有る。

何でこの地の東照宮を取り上げたのかと言うと、この地は徳川氏発祥の地だそうです。徳川と言えば松平家で三河と思われがち、何で群馬なのと言われるでしょうが、足利尊氏の足利市はこの先、桐生の隣りですが、新田義貞はお隣り太田市、いやここは群馬県新田郡尾島町世良田、そうここは「新田源氏」のふる里なのです。新田源氏の流れを引く徳川家、この地が発祥の地で松平家二代は「世良田三河守」、三代は「世良田二郎三郎」、七代は「世良田次郎三郎」、家康の第4子忠吉は「世良田下野守」、と称した、そして7代将軍「徳川家継」は幼名を「世良田鍋松」と称した、当時丑年生まれは他姓を名乗る風習が有ったと言われ、丑年生まれの家継は徳川、松平に代わる姓、徳川家先祖の姓である「世良田」と称したと言われています。この地に東照宮鎮座したのは寛永21年(1644)三代将軍「徳川家光」が日光東照宮より奥社殿を移築し、家康公を祀り、幕府から手厚い保護を受けました。大鉄燈篭や社殿の彫刻や拝殿は狩野探幽、左甚五郎作など日光東照宮や久能山東照宮と同じように重要文化財が沢山、但し日光の様に混雑していず、閑静なたたずまいは、ゆっくり見て廻れます。


日光東照宮  日光東照宮は知らない人は居ないでしょうね。「日光、見ずして結構と言うなかれ」とか言われる程メジャーな観光地、見所に付いては是非とも行ってご覧になって下さい、えっもう何度も行ってる?そうでしょうね、ここでは観光でない日光東照宮について説明しましょう。元和2年に久能山に葬送された家康公は、翌年日光山に祀られました、ここが日光東照宮です、特に一番奥(山の上)に墓所が有り久能山の神廟と同じ型の墓が有ります。

江戸から日光は宇宙の中心と考えられた北極星(宇宙を主宰する神)の方向に位置し、日光東照宮は宇宙の中心軸上に有る(これを北辰の道と言う)。久能山の東照宮から富士山(不死の山として考えられた)を通る直線の延長線上(これを不死の道と言う)に日光東照宮が有る、江戸から北極星を結ぶ「北辰の道」と久能山と富士山を結ぶ「不死の道」との結ぶ交点が日光東照宮である、この「不死の道」上に世良田東照宮は有る。

各地の東照宮と名の付くものは徳川家康と何らかの形で繋がりのあるので、どういう関係が有るのか、身近の東照宮を調べて見るのも興味の尽きない事でしょう、最近の東照宮では全て拝観出来るようになりましたので昔行って観れなかった部分も観れるように成りましたので又一度お出かけしてして下さい。関東地区に有る東照宮は久能山から日光に御神体が移される時に道中に休憩等で立ち寄った所に東照宮が建てられたそうですが。

その時の道筋はよく分からないですが、私のドライブコースとして埼玉の川越、熊谷、深谷を通り世良田の東照宮の前を通り群馬県の桐生、大間々を通り渡良瀬川沿いに足尾を抜けて日光に至るドライブコースが好きで良く出かけるのですが、このコースを使ったのでは無いかと考えたりします。でもこのコースでは川越の「春日の局」の喜多院の隣りに有る東照宮ぐらいしか知らないけど、勿論、世良田の東照宮は知ってるけど。



<後記>お城のコーナーの特集として「東照宮」、何故と言われても・・・ただ戦国時代の象徴としてのお城と戦国時代の中心人物「徳川家康」リンクしないでいられない気持ち、そもそも私が、お城に興味を持ったのは、山岡壮八の長編小説、「徳川家康」を全巻読んだ頃、もう20年以上も前の話、その頃のお城は数が少なく、浜松城も無く、岡崎城で感激した時代でした。その当時「本能寺の変」で家康が京都から岡崎に逃げ延びる時に伊賀の山中を死にもの狂いで逃げ、その時手助けした伊賀の忍者が、その後徳川家に代々お庭番として仕える話は興味深く一度このコース通って見たいと思っていましたが、なかなか機会に恵まれず諦らめていましたが数年前に、長浜城から栗東を通って信楽を抜け伊賀上野城まで行き忍者屋敷を見て、少し気分を味わって来ました。信長、秀吉、家康を抜きに日本のお城は考えられません。死後、東照宮は家康の城だったのです、だから久能山も東照宮も山の上で日光では「眠り猫」が侵入者を見張っていた。家康が建てたとされる信長のお墓、安土城跡も山の上、しかし本能寺の変で信長の遺体は無いのですよね。何を祀って有るのでしょうか?武田信玄のお墓の有る「恵林寺」も同じだけど。その点では東照宮は保証書付き?日光東照宮の家康の墓、写真撮影、許されてないが、何故か手元に久能山の墓と同じかたちの日光山の墓が、あの時、貧血で倒れかけての拝観、余り覚えていなかった・・・。


  ○余談になるが、東照宮は勝負運の神社として御利益がある様で、前記3神社を参拝して行くと結果は良い事が多い、特に世良田の東照宮では勝負運のお守りも売っていて好評だ。少なくともこの先の国定忠治のお墓より御利益が有る、静岡の袋井の「森の石松」のお墓もそうだけど墓石は削られ丸くなっていたが結果はパットしない様で、私自身には東照宮が一番、好結果が得られるようです。保証はしませんが。





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