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★ 北海道のお城 |
松前城 | 北海道 松前町 |
別名「福山城」。松前城は今から700年以前の鎌倉時代から和人が移住し、戦国時代の終わり頃には和人政権の拠点となり・・・と城内の説明書きが有りました、元来蝦夷地はアイヌの地だったからでしょうか、武田、蛎崎、松前と改められて、幕府から蝦夷地の支配権が認められ松前藩が成立。徳川幕府から北辺警備の命を受け、
高崎藩の市川一学の設計で1854年日本最後の旧式築城として完成
松前城は、明治維新の最終局面で、徳川軍、政府軍が奪い合いを繰り返した、新選組の土方歳三が白馬で登場を、見た人の話も有り、松前城の逸話はとても身近な歴史物語です、是非とも訪れて触れて見て下さい
城内には火災で焼失した時の写真が掲示されていました。現在の天守閣は昭和36年に再建されたもの
築城 安政元年(1854) 三層三階
登城 海岸からわりと楽
※ 「新選組と松前」松前町史に親しむ会・発行 松前城で発売が面白い
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★ 東北地方のお城 |
弘前城 | 青森県 弘前市 |
別名「鷹丘城」。弘前城は津軽為信(初代)が津軽一帯を平定して、2代信牧が築城した、天守閣は落雷で焼失したが1810年現在の天守閣を再建した。こじんまりしているが、特徴ある建物として有名。奥入瀬、十和田湖と観光ルートに事かかない、
桜の時期5月が素晴らしいが、ゴールデンウィークの人では全国でも1、2を争う混雑覚悟(お城撮影の裏技は早朝5時頃が、それでもたくさんの人が出ています)
ねぷたを見るなら8月に、関東では群馬県の尾島町で8月のお盆にねぶた祭りをやっています、この地は旧、津軽藩の飛び地だったそうです。東京から車で関越道を通って1時間余りで行けます。
築城 文化7年(1810) 三層三階 現存 古天守閣、櫓、門、石垣、堀
津軽出雲守 10万石
登城 平城で楽
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三戸城 | 青森県 三戸町 |
二戸から国道4号を北上30分ほどで南部藩の三戸町へ。
南部の祖南部三郎光行は、奥州征伐の手柄により北奥羽地方を源頼朝から拝領したのが南部領の始まりです。
光行は二年後(1191)に三戸郡に拠点を移した。
24代晴政の時代、天文8年(1539)に三戸城が家臣の赤沼備中の放火で炎上して、新しい三戸城が現在の城山公園に築城されました。
その後、26代信直は小田原城攻撃に参陣して、その功により、豊臣秀吉から南部七郡(糖部、岩手、紫波、稗貫、和賀、閉伊、鹿角)領有の公認(本領安堵の朱印状)を受け、南部は近世の大名として名を残す事に。
登城 山城で歩いて登るのは大変だが、山頂まで車で登れる(GW中は春祭で有料)
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久保田城 | 秋田県 秋田市 |
別名「秋田城」。久保田城は佐竹20万石の城下町、秋田市内の千秋公園内の高台に「御隅櫓」が有るが、お城の写真は廻りが樹木で囲まれていて、まともに撮れる場所が有りません。掲載の写真も樹木で覆われています、丸枠内に市内の中心地から望遠で撮ったものを併せています。
佐竹氏は清和源氏の流れをくみ、常陸の国、水戸に本拠を構えたが、関が原の戦いで中立的な立場だったために、水戸城から出羽の国秋田に転封され1604年に久保田城を築城し入城した。現在の秋田市長、「佐竹市長」も末裔?(平成17年の竿灯祭りで挨拶していたが)
8月3日〜8月6日の竿灯祭りと併せて出かけてみませんか?
佐竹右京太夫 20万石
登城 公園内で比較的に楽
模擬天守
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五城目城 | 秋田県 五城目町 |
五城目城は1585年頃、砂沢城として藤原内記秀盛が居を構えたが、阿東秋田氏の内紛後、五城目(五十目)地域を支配するようになり、藤原氏は五十目氏を称する様になりった。その際「馬場目城下」から「五城目」に移ったとされる。1601年の秋田氏の転封により五十目氏もこの地を去り城は破却された。
昭和59年に森林資料館「五城目城」として開館した、標高97メートルの頂上に建つ為、天守からは町が一望出来る。頂上までは車で行けるので楽に行ける。(麓に駐車場が有るが、ここに駐車すると登るのは大変だ)
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横手城 | 秋田県 横手市 |
別名「朝倉城」。横手城の古い資料が少なく不明確な点が多すぎ、今後の研究が待たれるとの事。この地を同行した連れが「新興宗教のお城みたい」と言ったのが印象的だつたが、掲載の写真からは、そんな雰囲気は無い。横手城への道路の案内板が全て手書きの紙だった事も苦笑したが。
現在分っている事は1300年頃に稲庭に本拠を持つ小野寺道有が朝草刈城を築いた。15世紀頃、小野寺泰道が現在の地に居住し、町づくりをしたが、関が原の戦い後、領地没収され津和野に流されて、横手城は最上氏が所管。その後佐竹氏、伊達氏、須田氏と横手城主は目まぐるしく変わり、戸村氏が城代になり戊辰戦争まで約200年続く。
模擬天守
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稲庭城 | 秋田県 稲川町 |
稲庭城は下野国(栃木県)の小野寺氏が鎌倉時代に源頼朝から雄勝郡(秋田県南部)を賜り、最盛期、城館は仙北、平鹿、雄勝、由利、山形領まで入れると470も有ったとされる。しかし隣り合う領主と戦いを繰り返し勢力は衰え、関が原の戦いで豊臣方に付き、津和野にお預けの身に。横手城も小野寺氏の城だったので、横手城も参照。
歴史はともかく、お城は、山頂に有り、最大勾配33度の、お籠型のスロープカーはスリル満点、時代劇ムードに浸れる。
お城を見学した後は、有名な「稲庭うどん」を味わって見ては如何ですか。
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亀田城 | 秋田県 岩城町 |
亀田藩を現代によみがえらせた史跡保存伝承の里「天鷺村」、亀田城と天鷺城の二つのお城が楽しめる、本家の亀田城は佐藤八十八美術館で、お城を撮るなら「天鷺城」が良い。天鷺郷(城)と亀田城は数百メートルに隣接
山手を見ると3つめの、お城「天鷺ワイン城」が有りワインの試飲も出来る
歴史的な能書ウンヌン関係無く城めぐりなら、3つのお城が楽しめる、本家の亀田城より、天鷺村の庭園が良いが、松本清張のファンなら「砂の器」の「羽後亀田」も含めて散策コース、でも「な〜んも無かった!」って笑い話になりそうなコースかも・・・ 尚、写真は天鷺城の物だ、亀田城を含む写真は こちら から
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上山城 | 山形県 上山市 |
上山温泉で知られる上山市の上山城、別名「月岡城」は伊達氏と上杉氏の攻防の舞台となったお城、山形新幹線が開通以来、「かみのやま温泉駅」に「つばさ」が停まるので、東京から2時間半で楽々行ける、勿論、車で行っても苦にならない、周りに、将棋の駒で有名な天童や山水画の山寺など楽しみ一杯。
松平中務 3万石
登城 山の中腹で城前に駐車場有り
模擬天守
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益岡城 | 宮城県 白石市 |
白石城とも呼ばれる増岡城。福島と仙台の中間に有る白石市はリゾート地「蔵王」の麓の街、豊臣秀吉が伊達氏から没収て蒲生氏に与えた地に、会津若松城の支城として築城されたが、関が原の戦いの前哨戦と言われた白石城の攻防戦の後、再び伊達領となった。明治維新にも再び歴史に名を残すお城です、詳しくは一度訪れて下さい。東北新幹線で白石蔵王下車。東北自動車道でも日帰り出来る、勿論仙台から、松島、蔵王と観光にも事欠かない。
復元天守
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鶴ヶ城 | 福島県 会津若松 |
別名「会津若松城」。会津鶴ヶ城は、黒川館として芦名直盛により築城されたが、1590年蒲生氏卿が会津に移封されて本格的天守閣が築かれた。この時「鶴ヶ城」と命名され、その後加藤氏、保科氏、松平氏等歴代城主により整備拡充が図られた。明治7年に取り壊されて、昭和40年に再建された。会津若松は飯盛山と白虎隊で有名。会津若松鶴ヶ城の名で有名ですが、特大リゾート「猪苗代湖」や会津磐梯山など見所豊富、蔵の町、喜多方ラーメンも有るよ。
松平肥後守 23万石
登城 平城で楽
復元天守
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二本松城 | 福島県 二本松市 |
別名「霞ヶ城」。二本松城の有る二本松市と言えば菊人形が何と言っても有名です、お城は菊人形会場ですから、どうせ行くなら10月頃が如何ですか?例年NHK大河ドラマを題材にしたテーマで開催されています。
丹波左京太夫 10万石
登城 平城で楽
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小峰城 | 福島県 白河市 |
小峰城は白河城とも呼ばれる。広い城址公園の中に鎮座する天守は5名定員との事、戊辰戦争で大半が焼失したそうです。白河の関と共に一度は訪れるては。那須高原の辺から、「うつくしま福島」の看板が目に付く、そう、ここはもう福島県なんだ!高速道路だと30分も走ると会津若松だ。
安部播磨守 10万石
登城 平城で楽
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★ 関東地方のお城 |
館林城 | 群馬県 館林市 |
館林城は現在、城門だけ残っています、少し離れた所に本丸跡が科学館の裏に有ります、そう館林は今や女性宇宙飛行士の街ですから、隣には遺跡とあやめ公園が素晴らしい、館林は見事な「つつじ公園」と、ぶんぶく茶釜の『茂林寺』と一度は訪れると良い所が有りますが、花の時期は限定されますので調べてお出かけ下さい。
秋元但馬守 6万石
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高崎城 | 群馬県 高崎市 |
別名「和田城」。高崎城は現在、城門だけ残っています。高崎と館林は将軍吉宗の継承の前の策略、陰謀に頻繁に出て来る藩ですね、高崎を群馬の県庁所在地だと思ってる方、県庁は前橋市ですよ?、前橋城もお城は見つかりませんでした、群馬県のお城の再建は、ここの高崎城が一番早いのではと思ったのは筆者だけでしょうか?
松平右京(大河内) 8万石
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豊田城 | 茨城県 石下町 |
茨城県の筑波の奥に巨大なお城が有りました、この辺りは平将門の逸話が多く、時代もその頃かと思いましたが、時代はもう少し過ぎた1300年代中期の豊田氏の時代だそうです、戦国時代には姻戚関係の小田氏とともに石毛城などの支城の拠点となったそうです、現在の豊田城は高さ48.5mと巨大なお城で、天守からは筑波山をはじめ富士山、日光連山が見晴らすことが出来ます。
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亀城 | 茨城県 土浦市 |
土浦城は亀城「キジョウ」とも呼ばれ本丸の東西に有った東櫓と西櫓が再建され東櫓は見学が出来る。土屋氏の居城だった亀城は霞ヶ浦を背に天守閣の無い平城だった。土浦は筑波山も近く、霞ヶ浦と観光地としても見所多い。お城の有る亀城公園は地元の桜の名所でも有る。
土屋采女正 9万5千石
登城 平城で楽
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川越城 | 埼玉県 川越市 |
別名「初雁城」。川越城の歴代城主は酒井、堀田、松平、柳沢、秋元、等、馴染みの大名が連なる。現存かるのは本丸御殿のみだが隣接する博物館はかなり見ごたえの有るもので一度訪れて見るとよい。又本丸御殿の前奥の神社は「童謡とうりゃんせ」で有名、川越には、「春日の局」の喜多院や、時の鐘、蔵造りの家並み、菓子屋横丁等、見所いっぱい。「栗よりうまい13里」は川越の名産「お芋」をさす!又10月の第3土曜、日曜の川越まつりは必見。
松平大和守 8万石
登城 本丸御殿前に駐車場有り
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忍城
(更新) | 埼玉県 行田市 |
別名「浮島城」。忍城は、お堀も有り水上城として難航不落のお城だったそうです、お堀には腹を空かした鯉が沢山いて餌をねだっています、行く時は鯉の餌を持って行くと楽しめます。JR行田駅のホームにお城の模型が飾ってあった?行田は、お城の案内多くすぐわかるでしょう。近くに「さきたま古墳」も有る。
松平下総守 10万千石
登城 平城で楽
復元天守
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騎西城 | 埼玉県 騎西町 |
騎西城(私市城)、根古屋城、山根城など様々な名で呼ばれた平城で、かの「上杉謙信」に攻め落とされた城です。城内は親切な管理者が一人でも開けて見学させてくれます、夜はライトアップされるので夜もいいが、かなり田舎なので若干心細いのが何点か、鉄道も走ってないし。尚「藤の花」が見事なので時期を選んで出かけてみよう。
徳川家康が関東に入った1590年、松平康重が2万石で城主となる。その後大久保忠常・忠職、父子が城主となり、玉敷神社を現在地に遷座して城下町騎西の再編を行った。寛永9年(1632)忠職の美濃国加納城に移封に伴い騎西城は廃城となった。
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関宿城 | 千葉県 野田市 |
関宿城は「せきやど」と読みます、関宿町は野田市に吸収合併されています。江戸川が利根川から分岐する位置に関宿城は有ります、地名から宿場町を想像しますが、ここは水路の関所だったそうです。行って見るには車でなければ、かなり不便(バス便のみ)な様です。
「潮来笠」の歌詞に、「せきやど」が出て来るの知っている人は少ないようですが、出て来ます、興味のある方はレコードを探して見ては
久世大和守 5万8千石
登城 畑の中に有る城前が駐車場
模擬天守
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逆井城 | 茨城県 境町 |
逆井城「さかさい城」と読みます、時代は戦国末期のお城だそうです。復元されている二層櫓は、武器、食料の貯蔵と、防御を目的としたそうです。利根川を挟んでお隣の『関宿城』の城門の一部が有ります。
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千葉城
(更新) | 千葉県 千葉市 |
千葉氏は桓武天皇を祖とする上総千葉氏、下総千葉氏(後に九州千葉氏)と天皇の系図、
千葉城は亥鼻城と呼ばれた千葉氏居城、千葉氏の御神体として北斗七星崇拝がされていたとの事で、城内3階にプラネタリウムが有りましたが
近くの科学館に移されたそうで、現在は千葉市の郷土博物館として、千葉氏に関する資料の展示や調査研究がされている
古文書として、北条氏康の書簡が数多く展示されている。
入館料が60円と、有料のお城としては日本一安いと思います
県庁から少し入った所ですが、皆さんとても親切なので行って見ては?
無料の駐車場が有ります
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館山城
(更新) | 千葉県 館山市 |
館山城は里見八犬伝の舞台、館山は東京湾アクアラインを通ってドライブがてら出かけるのが良い、途中「鋸山」に寄っていく事を薦めます、館山道路が開通しているので木更津から30分も有れば行けます。
館山城は15年ぶりに行ってきましたが、里見氏をNHKの大河ドラマに!の誘致運動を展開していました(2012年)、近いうちにドラマ化がなるのでしょうか?
八房と言う犬と伏姫のロマン?がテーマになるのかも知れませんね
館山城は山城とはいえ、こんなにきつかったとは、歳なのでしょうか?でも受付のお姉さんも毎日きついの!と言っていましたから歳のせいではなかったと一息
でも、お城の裏手の展望広場から富士山が見えるのは知りませんでした、雲がかかっていたので綺麗に見えませんでしたが結構大きく見えるので、今度は天気の良い日に再チャレンジを誓いました
登り口からすぐの所に孔雀園が有って、たくさんの孔雀が鳴いていました。
稲葉兵部 2万石
登城 駐車場より上り坂で、ややキツイかも
模擬天守
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久留里城 | 千葉県 久留里市 |
久留里城は里見氏発祥の地、お城からの眺めは素晴らしい。ここも館山城と同じ東京湾アクアラインを薦めるが、こちらは房総の内陸コースです、近くの養老渓谷は車はきつかったですが、整備はされたか不明です。大多喜城へ抜ける道は問題ないので大多喜城まですぐです。
黒田豊前守 3万石
登城 駐車場より山登る、ややキツイ
復元天守
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大多喜城 | 千葉県 大多喜町 |
徳川家康が江戸城入り、小田喜(大多喜)城を本多忠勝に与えて安房の里見氏の勢力をおさえようとした。城主は本多、阿部、青山、稲垣、松平氏へと引き継がれ松平氏が9代、明治まで続く。
現在は千葉県立総南博物館。入場料200円
大多喜城は房総の中心部、何でも鑑定団の「渡辺翁」のお宝が展示されているとか。何でお城は山の上ばかりなのか、と変なため息。千葉から大原、御宿に抜ける中間の位置、房総の人にお城と言えば大多喜城と応えるほど地元に馴染まれたお城だ。養老渓谷も近く、房総の清水寺と言われる「笠森観音」も観光コースに
松平備中守 2万石
登城 駐車場より山道登る楽
模擬天守
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江戸城 | 東京都 千代田区 |
「皇居」ここもお城です。太田道灌が・・・などの話しは抜きにして、一般に公開されてない部分も多く、何処を撮影したものか?一応、朝9時から見学出来ます、はとバスの観光コースは2重橋?たまには皇居広場でノンビリするのも良いかも?
江戸城はご存知、徳川将軍800万石、徳川幕府のお城、現在の皇居です。
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小田原城 | 神奈川県 小田原市 |
小田原城は大森氏の居城がその前進であるが、1495年北条早雲が大森氏を追って入城して本格的な築城が始まった、その後96年間、北条氏の関八州支配の拠点として他に類を見ない巨城に築きあげられた。北条氏の屈強なお城は「信長の野望」でも最強のお城だったょね!、しかし1590年豊臣秀吉の大軍に攻められ、大攻防戦の末、開城し、徳川家康家臣大久保忠世が城主に、現在の天守閣は昭和35年に再建されたもの。外堀、内堀有る。
大久保加賀守 11万3千石
登城 駐車場より楽な階段登る、お城と動物園、子供の娯楽施設も同居している感じ、
復元天守
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★ 甲信越地方のお城 |
舞鶴城 | 山梨県 甲府市 |
別名「甲府城」。信玄の武田神社、塩山の恵林寺の信玄の墓、甲府は「武田信玄」の街、舞鶴城の再建は2000年春を目指して急ピッチで進められて来ましたが、完成は平成14年になり、その後ストップ、現在は稲荷櫓の再建のみです。石垣等は整備されていて、金○亡き後、財政困窮で、天守再建の為にお金くださいとのジョークまで出る始末では見通しは暗いようです。
甲府城は江戸幕府直轄のお城だった
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高島城 | 長野県 諏訪市 |
諏訪大社で有名な諏訪湖の辺りには諏訪高島城(諏訪の浮城とも言う)が有る、ここ城址公園内にお城の沿革紹介の案内板が新旧3ヶ所、詳しく説明が有るので、興味のある方は一度訪ねてみて下さい。廻りには観光スポットが沢山あり、興味尽きません。前述の諏訪大社は「御柱祭り」で有名ですが、神社は「本宮」を中心に「春宮」、「秋宮」と立派な大社が3ヶ所有り、少し離れていますが全て廻って見て下さい、「本宮」から茅野方面に少し行った所に、もう一ヶ所「前宮」が有りますが、ここは畑の中の小道脇にひっそり建っていて、他の3宮から比べるとビックリするほど貧弱です、それでも「御柱」は立っています。ここを合わせて4ヶ所で諏訪大社だそうです。高島城と合わせて見学して下さい。
諏訪因幡守 3万石
登城 城前に駐車場
復元天守
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上田城 | 長野県 上田市 |
別名「尼ヶ淵城」。真田幸村でご存知の上田城。真田六文銭は三途の川の渡し賃、数年前に築城400年祭りやってたかな。
上田城内の古井戸に興味が。
4月初旬から月末まで「桜まつり」が約一月もやっていたりする
松平伊賀守 5万3千石
登城 城前に駐車場
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松本城
(更新) | 長野県 松本市 |
別名「深志城」。松本城は良くドラマにも登場するのでご存知の方も多いと思います。徳川家康家臣「石川数正」が豊臣秀吉に寝返って(何故、家康を離れたかは、山岡壮八著の長編「徳川家康」に詳しく書かれている)築城した、本丸・二の丸・三の丸と規格正しい縄張りで外周には城下町と社寺地帯を配している。「国宝」此処はフォト・スポットは多いよ。城下町は何処も道が狭いので車の観光は気を付けましょう
松本城に行って来ました、何回も行ってるのですが、国宝のお城は人気で、どこも城内見学は行列です、松本城でこんな行列は初めてでした
築城 天正18年(1590) 五層六階 現存 古天守閣、櫓、門、石垣、堀
松平丹波守 7万石
歴代藩主 石川氏=小笠原氏=戸田氏(前)=松平氏=堀田氏=水野氏=戸田氏(後)
堀田氏の時が最高の十万石で、八万石〜六万石
登城 平城で楽、城内の階段は急勾配で段差有るので年配者には疑問
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大峰城 | 長野県 長野市 |
大峰城は武田方の旭山城の向城として上杉方が築いた山城で葛山城主落合備中守の家臣「大峰蔵人」の城と云われています、現在は「蝶の博物館」としての沢山の蝶が展示されています、場所は、長野の善光寺の裏山の頂上で車で険しい山道を登った所に有ります。徒歩では20分の遊歩道を登るそうですがかなりキツソウです。善光寺からだと何時間かかるかな・・・
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新発田城 | 新潟県 新発田市 |
別名「菖蒲城」。新発田にもお城が有りました。行った時は、櫓だけの再建でしたが、本丸の工事が進められていたので、もう完成してるかも知れません。
溝口主膳 5万石
登城 平城で楽
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長岡城 | 新潟県 長岡市 |
本丸跡、長岡駅の地下道堀削工事現場から城塁の礎石が昭和29年に発見され、その後2キロ程離れた、
悠久山公園に再建された。1618年に藩主として牧野忠成が赴任し、牧野氏7万4千石の城下町として栄えた
牧野忠成 7万石
登城 山の麓の駐車場、中腹の駐車場有り、見た目ほどきつくない
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高田城 | 新潟県 上越市 |
高田城の有る高田市は直江津市と合併して上越市になったのは、かなり前、雪深く、スキーが日本に最初に入って来た所です。お城は三重櫓、お城の有る市内の高田公園は100万人観桜で賑わうが、やはりこの時期に訪れるのが一番か?上信越道路が開通して、東京から車で3時間程で行ける。
榊原式部 15万石
登城 公園駐車場で楽
復元天守
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春日山城 | 新潟県 上越市 |
上杉謙信の居城も今は神社まで、山頂に再建されるか?
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★ 東海地方のお城 |
駿府城 | 静岡県 静岡市 |
家康の駿府城(別名を府中城)は静岡県庁舎前に「巽櫓」が重々しく?再建されています、この巽櫓は1635年に焼失して1638年に再建されたものを、平成元年に再建されたものです。ここの堀は外堀と内堀が広い敷地に残り、家康の威光を感じさせます。内堀沿いに、表題の写真の様に「家康公散歩道」が有りゆっくり散歩を楽しむ事が出来ます。久能山の東照宮と家康ゆかりの地、静岡は家康一色?
駿府城は幕府直轄。
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小山城 | 静岡県 吉田町 |
焼津から国道150号を御前崎に向かって走ると大井川を越えて少し行くと案内板が出で来る、右折し街並みが途絶えたあたりでお城が見えて来ますが、そこからがどう行けば着くかちょっと迷う、しかし見栄えのするお城ですよ。吉田城は小山城と言います。豊橋市に有るのが吉田城なので、間違えそうですね。
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掛川城 | 静岡県 掛川市 |
別名「雲霧城」。今川義元の遠江支配の拠点とされた掛川城は、家康領を経て、豊臣秀吉が山内一豊を配置し、戦乱で傷ついた城や城下の整備を行って、天守閣はこの時、造られた。掛川市では町起こしの一環として、白壁の城下町の再建に力を入れてます、お城の廻りは徐々に整備されています。尚掛川城に隣接する、掛川城二の丸御殿は江戸時代の建物で貴重な建物です、川越城本丸と似ています。
太田摂津守 5万3千石
登城 駐車場より少し離れているが楽
復元天守
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浜松城 | 静岡県 浜松市 |
別名「曳馬城」。家康の居城、出世城として有名と、地元の小学校の先生が生徒に教えてました。浜松市内は頭上すぐ上を戦闘機が飛ぶので驚きますよ、車で行った時は気を付けて。
井上河内守 6万石
登城 市役所駐車場よりすぐ
復元天守
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吉田城 | 愛知県 豊橋市 |
牧の原の近くの吉田町に有るのは「小山城」、こちら豊橋市内に有るのが「豊橋城、吉田城」場内は見学が出来ないかも、公園内は柄の悪い高校生があっちこちにタムロしている、若い女性を連れて行く時は気を付けたほうが良さそうです。
松平伊豆守 7万石
登城 駐車場よりすぐ
復元天守
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西尾城 | 愛知県 西尾市 |
西尾城の丑寅櫓は物見櫓だった西尾城郭覚書に記載されているとか、丑寅とは北東の方角を見渡すとあるが、筆者の考えるには、丑寅の方角は古来、鬼門とされている方向、牛と虎を併せた姿が鬼になる事から丑寅を鬼として、鬼門とされ恐れられた、この方角に一段高い櫓を作って、備えたと考えられる、お城の堀の外に姫丸門跡が有
松平和泉守 6万石
登城 駐車場よりすぐ
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岡崎城
| 愛知県 岡崎市 |
別名「竜ヶ城」。岡崎城は家康生誕の地、正しくは「竹千代」時代を過ごしたお城、確か「家康」に成ってからは、ここで過ごして事は無かったよね。何年か前に家康生誕450年祭やってましたね。お城の廻りは殿橋とか、歩道橋を含めお城の雰囲気充分。
本多中務 5万石
登城 駐車場よりすぐ
復元天守
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挙母城 | 愛知県 豊田市 |
挙母城は豊田市内の美術館の隣に有る、美術館が余りに豪華なのでお城は、かすんでしまう。「ころも城」と呼ぶが、七ヶ国が見廻せた事から「七州城」と呼ばれた。豊田市は言わずと知れた「トヨタ」の町、日産の車の筆者には肩身の狭い町でした。
内藤丹波守 2万石
登城 駐車場よりすぐ
復元天守
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足助城 | 愛知県 足助町 |
足助城は紅葉で有名な「香嵐渓」の町から山を登った所に有る、山頂に有るので見晴らしは抜群、紅葉は麓の香嵐渓より綺麗だそうです、典型的な山城で、真田幸村率いる真田十勇士の忍者軍団も苦しんだお城だそうです、山頂迄は細い道では有るが車で行けるのでそれ程苦には成らない。
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岩崎城 | 愛知県 日進市 |
岩崎城の有る日進市は名古屋の隣、お隣に瀬戸万博で有名に成った瀬戸市も有る。織田信長の父、織田信秀が築城したお城ですが、戦国時代に様々な歴史を見つめてきたお城です。
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名古屋城 | 愛知県 名古屋市 |
尾張名古屋は城でもつ、「金の鯱ほこ」で有名な名古屋城、別名「金鯱城」。名古屋の人何せ豪華が大好きだそうで。徳川家康が江戸幕府の安泰をはかる為東海地方の鎮護、大阪方面への備えとして、加藤清正らに命じて完成させた、初代城主は「徳川義直」、以来250年、徳川御三家筆頭の居城として栄えた。
尾張大納言 62万石
登城 駐車場よりすぐ
復元天守
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小牧山城 | 愛知県 小牧市 |
小牧城は山の上、名神高速道路からも見えます。小牧山はハイキングコースとして開放されていますが、車は登れないので、下の駐車場に置いて15分程の山道を登ります。小牧山城は1563年に天下統一を目指す織田信長が築城し、信長没後、豊臣秀吉と徳川家康が小牧山をめぐる攻防戦、世に言う「小牧・長久手の戦い」の舞台となりました、小牧山は徳川家より昭和6年に小牧町に寄付されたそうです。小牧城は名古屋の実業家が私財を投じて建設して昭和43年に完成して小牧市に寄贈されたそうです。
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竜泉寺城 | 愛知県 守山区 |
天台宗のお寺「竜泉寺」1584年長久手の戦いで豊臣秀吉が陣したとの事で、お寺の奥にお城が有ります、残念ながら日曜・祭日しか観覧出来ないそうです、重要文化財クラスのお宝が沢山有るとの事で出かける方は日祭日にどうぞ。
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清洲城 | 愛知県 清須市 |
清洲城と言えば織田信長の居城、戦国時代には「天下の名城」と称えられ平成元年に再建された。桶狭間の戦いで今川義元を破った時、清洲城からしています、この時の桶狭間出陣の内容が現在、清洲城で展示されています。名古屋インターから東名阪を下り清洲東インターを過ぎたあたりに左手に見える。新幹線からも見える。
ここは名古屋市に入ると勘違いしていましたが、清州町は現在合併して、清須市になっています
模擬天守
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犬山城 | 愛知県 犬山市 |
犬山城は木曽川の南岸にそそり立つ日本最古の桃山風天守閣は望楼風天守とも呼ばれ「国宝」に指定されている。織田信康によって築城された犬山城は別名「白帝(ハクテイ)城」とも呼ばれ、1895年旧藩主「成瀬正肥」が城を修復すると言う条件で譲り受け保存をはかってきた、犬山城は全国で唯一の個人所有のお城として有名です。
築城 慶長4年(1599) 三層六階 現存 古天守閣、石垣、物見台
成瀬隼人正 3万5千石
登城 駐車場から坂道登るすぐ
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津城 | 三重県 津市 |
別名「安濃津城」。津城は信長の弟の信包によって築城されたが関ケ原の戦いで戦火に見回れて1608年に藤堂高虎が伊予今治から移って大改修したが天守閣は再建されず石垣を高くして北側の石垣に角櫓が築かれた、その一部分が残っているお城で、見た目より、かなりこじんまりしたものです。写真だと大きく見えますが、側で見ると普通の民家程でしょうか?
藤堂和泉守 32万石
模擬天守
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上野城 | 三重県 伊賀市 |
別名「白鳳城」。伊賀忍者で知られる伊賀上野城、本能寺の変の時、家康が京都から伊賀の山越えをして三河まで戻る時に手引きをした事で徳川幕府の時、伊賀忍者は、将軍家にお庭番として仕えた。
伊賀上野市は3町2村を合併して伊賀市になっています。
藤堂家城代(支藩)
模擬天守
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★ 北陸中部地方のお城 |
富山城 | 富山県 富山市 |
別名「安住城」。富山城は立山アルペンルートの玄関口で有名な富山の中心部に建っている、堀と石垣も有り見栄えのするお城です、どこのお城も、そうですが、桜の時季が最高、お堀に屋形船を浮かべ花見も出来る、越中富山は、薬の行商でも有名な土地、お城内にもそれが見て取れます。前田家のお城で有る事は言うまでも無い。
松平出羽守(前田) 10万石
模擬天守
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金沢城 | 石川県 金沢市 |
別名「尾山城」。加賀100万石城下町、金沢城は現在、金沢大学にある。
徳川幕府800万石に次ぐ102万石は前田の威光?御三家の尾張でさえ62万石だ
加賀宰相(前田) 102万石
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丸岡城 | 福井県 坂井市 |
丸岡城は北の庄城の支城として築城された別名「霞ヶ城」と云う、天守閣は昭和9年国宝に指定されたが、昭和23年の福井大震災で倒壊、昭和25年重要文化財に指定され、80%近くを元の古材を使用して修復、昭和30年に再建された。日本現存の天守閣では最も古い建築です。歴代城主も柴田氏、本多氏、有馬氏と名だたる大名です。ここは小さいがなかなか雰囲気を味わえるお城で人気も有る…「永平寺」に行ったら、寄ってみよう。昔行った時と場所が少し違っていた、数10メトール奥に移った気がしたが
築城 天正5年(1577) 三層三階 現存 古天守閣、石垣
有馬日向守 5万石
登城 平城で楽だが、階段急勾配に注意
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越前大野城 | 福井県 大野市 |
越前大野城は織田信長の備前一向一揆平定の戦功により大野郡を与えられた「金森長近」により築城された。別名「亀山城」と云う。福井インターから車で約40分奥に入った越前大野市、山城なので、20分程登って山頂に有る、土居氏、大野屋など、幕末の時代のお話が中心、興味の有る方は、少々時間が掛かりますが訪れて見て下さい、天守閣からの景色は最高です、来た甲斐が有ったと思う事でしょう
土井能登守 4万石
復元天守
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勝山城 | 福井県 勝山市 |
越前大野城から、ほど近くの勝山市に有る勝山城、歴史的には柴田勝家の一族の柴田勝安が建てた城とされるが、現在の勝山城は歴史的な資料には無縁の、日本一の高さを持つ天守として、当地出身の故多田清氏により建てられ、多田コレクションの陳列として勝山博物館として公開されている
巨大なお城は迫力満点だが、歴史的価値は無いとの事、近くに有る、これも日本一の越前大仏も同氏によりたてられたそうです。
丸岡城、越前大野城との間に有る感じなので、半日で3城めぐりが出来るので、一度お出かけ下さい
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岐阜城 | 岐阜県 岐阜市 |
別名を稲葉山城。鎌倉時代から有った岐阜城は、別名「稲葉山城」と云い、戦国時代に斎藤道三、織田信長と云う大スターの登場で一躍有名になった。関が原の合戦では西軍に味方して、前哨戦で敗れたため、徳川家康によって、天守閣、石垣など全て取り壊され廃城となった。現在の天守閣は岐阜市民の手で昭和31年に再建されたものです。金華山の山頂に有り、北アルプス、伊吹山、伊勢湾と長良川を中心に岐阜の市内を一望出来る景色は見事、途中までケーブルカーで登るとは云えが山頂まで、少しきついが一見の価値有り、5月11日頃から横の長良川の鵜飼いが始まるので混雑必至
模擬天守
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郡上八幡城 | 岐阜県 郡上市 |
別名「積翠城」。郡上八幡城は戦国時代に領主東氏を滅ぼした遠藤盛数が八幡山に石垣を築き、その後城主となった稲葉貞通が山頂に天守台を造って本丸とした。山内一豐の妻のお城とかいうが、静かな町だ、踊りの月以外は、毎年夏に踊り通すのは有名、街のいたるところ清水が流れている、印象は水の街だが、お城の写真を撮って気がついた事、それは空の青さが眩しいほど綺麗な事、同じ日に撮った他所の写真の空の青さが全く違う、郡上の青空の色の濃さに驚いたのでした。
現在の天守は大垣城の天守を模して昭和8年に木造で築城されたもの。
江戸時代の城主は遠藤、井上、金森、青山氏と続いた。青山幸道が宝暦8年(1758)に殿町に御館を築き居館として旧二の丸を本丸に、旧本丸を桜の丸、松の丸と改めた。
郡上八幡町は合併して郡上市になっています。
青山大膳 4万8千石
模擬天守
≪郡上八幡城探訪記≫郡上八幡は東海北陸自動車道で名神高速道一宮JCTから1時間たらず、郡上八幡インターで降りる、水の豊富な町の印象が残る、郡上八幡の街中の細い道を進む、軒先の小川は洗い物が出来る綺麗な水が流れる。
お城は街中だが、やや分りにくい見渡してもお城は見えてこない、かなり高い山の上だから。山の麓に駐車場が有る、観光バスはここで降りて山道を歩くのだが、乗用車は細い急な山道を登る、対向車が来たらすれ違えないほど細い道だが心配は無い、一方通行だと後でわかったのだ。城の横に小さな駐車場が有り楽勝だが、ここまで歩くのなら大変だ。
ここは、10年以上昔に来た事が有る、その時の印象は古ぼけた汚いお城と思っていたのが大違い、すっかりお化粧直しがして有り、綺麗なお城になっていた。城門も掛川城の様に木の柱だけだったのが、ちやんとした城門になっている。入り口前の一本の木が記憶を思い起こす、郡上八幡城だ 。
お城内の展示物はそんなに無いので天守に行く、そこから見る郡上八幡の町並みは見応え有る、お城の天守から見る景色は何故か川が流れて景色が多い。
お城まで車で行くとかなり簡単にお城を楽しめる。特に天気の良い時の青空の下での写真は最高でした。今度は踊りの時期に訪れて見たいが、多分混雑して車で登れるか心配です。でも再訪予約のお城だ
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墨俣城 | 岐阜県 墨俣町 |
墨俣城は、かの有名な秀吉の一夜城、張りぼての「まやかし」の城を造ったと、子供の頃に教えられていた内容が違っていました、夜間に工事が進められ、一夜で完成したとの事、秀吉の出世城となったそうで、長浜城と共に太閤物語のお城です。しかし現在、再建されている墨俣城は立派なお城ですが、事実は砦的なお城だったそうです、史実とは若干違うお城ですが、立派な金の鯱鉾が有る再建された墨俣城のほうが、秀吉らしくて、受け入れられるのでしょうね。
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大垣城 | 岐阜県 大垣市 |
別名「巨鹿城」。大垣城は大垣の街の中、関が原の合戦では「石田三成」の本拠となったが、その後徳川譜代大名が次々に配置され、1635年戸田氏鉄が尼崎から入封して以来、戸田氏が11代にわたって治めた。天守閣は昭和11年国宝に指定されたが、戦火により焼失し、昭和34年市民の浄財により昔の姿で再建されている。大垣の街は良く整備されていて、駅前の大通りが、駐車出来る(勿論無料)これは感激?
お城は駅前大通りに有り、駐車も楽々出来た(ゴールデンウィークの最中なのに)大通りから1分の所で楽々だ、昔まわった時には分かりにくい気がしたが、今はすぐ分かる
戸田采女正 10万石 ここは、楽々コースの超お薦め、入場料も100円と安い
復元天守
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★ 近畿地方のお城 |
彦根城 | 滋賀県 彦根市 |
「国宝彦根城」此処も山頂まで歩きましょう。別名「金亀城」と云われ、技巧をこらした天守閣は、規模は小さいが他に類を見ない、外観は「切妻破風」「千鳥破風」「唐破風」を巧みに組み合わせた屋根の線が美しい、何の事か解らないと言う方は一度訪れて自分の目で確認して下さい。「井伊直継」が築城以来、代々、井伊氏が治めてきた彦根城は、国宝の天守閣以外にも重文だらけ、彦根城一帯は特別史跡です
今年(2007)は400年祭で混雑していました、日祝日などは天守見学に1時間待ちなどちょつと苦痛を伴う、この為か天守の見学料が1000円と破格の値段設定だ。(多分日本一高い、それで場内をただ歩くだけこれは首をかしげる)
最近はマスコットキャラクタが話題となっています
築城 慶長11年(1606) 三層三階 現存 古天守閣、櫓、門、石垣、堀
井伊掃部頭 25万石
登城 駐車場から山道も少々
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長浜城 | 滋賀県 長浜市 |
別名を今浜城。長浜城と言えば「秀吉」、当地は秀吉にまつわる話がいっぱい、長浜駅前には「秀吉と石田三成の出逢の像」が有る、他にも長浜は見所沢山でゆっくり廻ってみるのは楽しい所だ、ほとんどが歩いて廻れる場所に有るので是非一度どうぞ。
模擬天守
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安土城 | 滋賀県 安土市 |
安土城、ここは必ず再建されるでしょう、山頂には天守閣の跡と「織田信長」のお墓も有る。
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伏見城
| 京都府 |
秀吉が京の伏見桃山に造ったお城として有名、秀吉がこの城で余生を過ごしたのは4年だ、
秀吉没後、徳川家康が入城したが、家康が上杉征伐時に石田三成が挙兵、伏見城は消失し関が原の戦いの前哨戦となった、
その後家康により再建され家康が主に政務を取る事に。秀吉、家康の伏見城は京都の桃山御陵内に伏見城跡が有る
現在の伏見城は近くに再建されていて、お城の前に大駐車場が有るので見学は楽
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二条城 | 京都府 京都市 |
二条城は桃山時代後期の代表的な城郭、建築、絵画、彫刻、庭園等が現存している、中でも二の丸御殿は、国宝に指定され、武家風書院造りとし最も優れた遺構として桃山時代の美術の粋が集結されている、ここがお城と気づかない人も多いが、ここは城郭としてよりも徳川将軍の宿館・儀式場としての性格が強かったからか、ここで将軍就任の式や大政奉還の公表も行われた。正式名称を『元離宮二条城』と云う。
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福知山城 | 京都府 福知山 |
別名「横山城」。明智光秀が築城の福知山城、京都でも日本海側の丹波福知山に明智光秀がお城を築いた事に何か言い知れぬものを感じる、謎の名将「明智光秀」、彼の神秘の人間性を問い詰めるには、このお城を訪れるべきか?それで何か一辺でも発見できるか・・・・。舞鶴自動車道で福知山インター、大阪からなら近いが、関東の人は日帰りは無理。天橋立や若狭湾など、周りは観光地、ジックリ観光を。
朽木近江守 3万2千石
復元天守
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田辺城 | 京都府 舞鶴市 |
舞鶴市に有るので、舞鶴城とも呼ばれたりするが、1622年に京極高三が3万5千石で田辺藩できて、田辺城となる
築城は、戦国時代1580年、智将で歌聖で知られる細川藤孝(幽斎)が1580年に丹後の国を織田信長に任された事にはじまる
田辺藩は、明治2年に舞鶴藩に改称されている、この時からこの地は舞鶴と言われるようになった
舞鶴は、岸壁の母で有名だが、海上自衛隊の基地で有り、国道沿いに軍艦が横付けされているのが見られる
市内は東西二つの地区に分かれていて、観光の東地区とメインの西地区に分かれている
お城は、西舞鶴駅から近く、舞鶴警察署の前に有る
ここは立派な城門が有り、そのうえが資料館になっている、知られた武将が多く出てくるので興味深い話が尽きないが
案内のお姉さんが親切で、色々と説明が聞ける、時間が有ればビデオも、そのうち詳しく取り上げたい
京極高三 3万5千石 ここも登城は楽々1分か(笑)
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大阪城 | 大阪府 大阪市 |
大阪城は秀吉の金ぴかのお城で別名を錦城。戦国時代の石山本願寺の跡地に豊臣秀吉が天下統一の拠点として15年の歳月をかけて築き上げた難攻不落の巨城でしたが、その後戦国時代のエピローグを演じて1615年夏の陣に天守閣等も炎上、1620年徳川幕府は西国64藩を動員して全面的に築城し直した。現在の天守閣は昭和6年に大阪市民の手で復興されたもの。最近改装もされて金ピカが増しています、戦国時代の歴史を語る時この城を抜きで語れません、大阪のシンボル的存在のお城。
幕府直轄
復元天守
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岸和田城 | 大阪府 岸和田市 |
別名「千亀利城」。岸和田城の有る岸和田市は「だんじり祭り」が有名ですが、お城も立派です。関空から近く、天守閣から港も見え景色も良い。天守閣から庭園を見ると八陣の庭が目に入る、三国志の諸葛孔明の八陣法をテーマにした形で、詳しくは、お城で渡されるパンフレットをご覧下さい。隣接している「だんじり会館」と共に見学出来る。
岡部美濃守 5万3千石
模擬天守
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和歌山城
(更新) | 和歌山県 和歌山市 |
別名「虎伏城」。和歌山城と言えば吉宗の紀州、暴れん坊将軍「吉宗」が将軍になるまえに過ごしたお城で、徳川家康の第10子、徳川頼宣が55万5千石で入城以来、御三家、紀伊徳川家の居城となった。築城は豊臣秀吉と云うのは以外な気もするが、別名「竹垣城・虎伏城」と云われる。平山城だか、天守まで登るのはキツイ、和歌山の街中からでも天守閣は見えるが?和歌山は「みかん」と日本一の「梅干」をご賞味下さい。
和歌山城へは、しばらくぶりに行って来ました、写真を更新しましたが今回の写真の城壁が塗り替えられて綺麗になっていましたので今回採用しました、前回の時の写真では壁が汚く見られた物では無かったので掲載していませんでした、2,3年前に塗り替えたそうです。尚、撮影スポットを見つけましたのでここからの撮影も掲載します
和歌山城 の別の写真
紀伊中納言 55万石
復元天守
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明石城 | 兵庫県 明石市 |
別名「喜春城」。明石城は旧名「鶴の城」、のち喜春城と命名したと有ります。元和4年(1618)城主「小笠原忠真」が徳川秀忠の命により幕府の援助と、姫路城主「本多忠政」の協力で築城された。歴代城主は@小笠原忠真、A松平康直、B松平光重、C大久保季任、D松平忠国、E松平信之、F本多政利、G松平直明、以降は子孫が明治の廃藩まだ在城。10万石の格が与えられた。現在は隅櫓が二つ再建されている。二つの櫓の間には眺望の踏み台が有り、明石市内から瀬戸内海、明石大橋が眺められる。
明石は日本の標準時、天文台も有名で、天文台の360度、展望フロアーからは明石大橋の全貌が迫ってくる。
松平兵部 10万石
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姫路城 | 兵庫県 姫路市 |
一番知られているお城、姫路城は播磨の守護職・赤松則村が砦を築いたのが始まりで、秀吉が西国攻略の拠点に天守を築いた、その後徳川家康の娘婿「池田輝政」が本格的に築城し現在の5層6階地下1階の天守閣を築いた。池田氏のあと、本多氏、榊原氏、酒井氏と治めてきた、別名「白鷺城」も有名だが、普通「白鷺(シラサギ)城」と呼んでいますが、「ハクロ城」と説明が有ります、サギだ・・・・何はともあれ、国宝・世界の文化遺産、一度は見て下さい。
外国人観光客が多く修学旅行の生徒がいなければ外国に行ったと勘違いするほど。千姫ゆかりの西の丸は外壁修復中ですが、内部は拝観出来る。播州皿屋敷のお菊の井戸は最後の見学コース。たっぷり1時間はかかります。
6月22日〜24日、城内で姫路ゆかた祭りが行われる。
築城 慶長14年(1609) 五層七階
現存 古天守閣、小天守、櫓、門、土塀、石垣、堀
酒井雅楽頭 5万石
登城 平城で楽、場内は広く1時間はかかる、階段は急勾配
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出石城 | 兵庫県 出石市 |
出石城「いずし」と読む城下町は丹後半島の付け根の豊岡市の隣、城下町の観光に力を注いでいるので、一度出かけてみては如何、丹後半島の観光コースの基点としても楽しめます。「出石そば」も有名で市内にはおそば屋さんが立ち並ぶ。
別名「子有山城」。
仙台讃岐守 3万石
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淡路城
| 兵庫県 淡路市 |
淡路島の中央部に位置する淡路市に有る淡路城は、案内図には、一宮城と記載されていましたが、淡路城として雄姿を表します。多分市町村合併で、一宮町も合併して淡路市なったからでしょうか。津名インターから10分ほど
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洲本城
| 兵庫県 洲本市 |
淡路島の、洲本市内の山頂に洲本城有るので洲本港が一望出来「洲本八景」に指定されている。
紀州熊野水軍の安宅一族が洲本城を築城、1581年織田軍の羽柴秀吉が淡路討伐で安宅氏は滅亡。
秀吉の四国攻めで、水軍の拠点として「脇坂甚内安治」が洲本城主となり、本格的な修築はじまる。
関が原の戦いでは東軍に寝返り家康方で参戦。関が原の合戦後は藤堂高虎に預けられた
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★ 中国地方のお城 |
岡山城 | 岡山県 岡山市 |
巨大なお城の岡山城は宇喜田直家が築城を開始後、四半世紀の時を経て1597年、宇喜田秀家により完成した別名「烏城」「金鳥城」は、安土城を真似て造ったと云われる3層6階のお城、昭和の時代まで残っていたが、昭和20年の空襲で焼失し昭和41年に再建されている。天守閣から名勝後楽園を望むことが出来る。岡山駅の前の大通りを真直ぐ行くと突き当たり、岡山は桃太郎の地、きびだんご持って岡山城?
松平内蔵頭 31万5千石
復元天守
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高梁城 | 岡山県 高梁市 |
高梁城は別名を「備中松山城」(こちらが本筋?)、備中高梁市にある。
ここは日本一の山城で、一時間ほど登頂にかかります、中腹に有る駐車場からでも30分程かかるので、行く時は覚悟して行くと良いでしょう。小堀遠州が手を加えている。 「備中高梁」は「男はつらいよ」の「ひろし」の両親の実家が有った所で、お墓も有るので、何度も登場している。忠臣蔵の「大石内蔵助」がここを請取りに来た話は、訪れて聞いてください。
城門入った横に休憩室が有り、ここでお茶を飲みながらビデオ放映が有り、様々な歴史背景などを解説してくれる。
3度目の正直で綺麗な写真が撮れました。前回は途中でリタイヤ、中腹の駐車場から麓の駐車場まで乗せてくれた「8977のクラウン」のご夫婦にはお世話になりました。
築城 天正3年(1683) 二層二階 現存 古天守閣、櫓、石垣
板倉周防守 5万石
登城 日本一嶮しい山城、中腹の駐車場から山道登る、年配者はやめた方が良い。
≪高梁城探訪記≫岡山道の賀陽インターで降りて、ほとんど車が無い国道494号を15分ほど走ると急カーブの下り坂にさしかかる、ここを下りると高梁市に入る、そこから10分ほど走ると高梁城の山の麓まで行けるが市内の細い道なので対向車など注意が必要だ。麓に駐車場が有るが、ここで車を降りて登のは止めた方が良い、山の中腹まで細い道だが車で行けて駐車場も有る(但し10台も無い小さな駐車場の為、混雑時は不明)
ここの駐車場に車を停めて細い険しい山道を黙々と登ります、途中「先は長いゆっくり登れ」とか「ここが中間地点一休みして」の標識に励まされて30分ほどでやっと城門が見えてきます。
高梁城は今回で3度目の訪問でした。最初は岡山道もまだ出来ていない2001年10月11日で修復工事中でテントか張ってあって険しい山道を登り切ったのに残念ながら城内に入る事も出来ずに帰って来ました。
2度目は2005年10月12日夕方近くになって時間的にどうか迷ったのですが、無理して行きました、その時に麓の駐車場に車を停めて歩きました、前回の時と道が違う舗装されていると思いつつ30分近くも登ってた処が中腹の駐車場でした、「間違えた」と思った時には夕方4時を過ぎていました、入城は4時30分まで、そこから30分、急げばと思いさらに登ったのでしたが、中間地点を過ぎた辺りで頭が朦朧として貧血状態で倒れかけてしまった。地べたに座り諦めている処に帰って来る地元の夫妻が「もう少しだけど時間的にもう終わりだよ」との事で断念して、そこから帰って来た、中腹の駐車場まで戻って来たら、声をかけてくれた夫妻が車で麓の駐車場まで乗せてくれたのには感謝しました。
2度の無念に意地になって半月後の11月1日午前10時前に三度目の訪問で天気は快晴でした、高梁城の山々は、霧がスッポリかぶり山頂は全く見えない状況です。3度目の正直が、又しても残念無念か?と思いつつ中腹の駐車場に車を停めて、険しい山道を再度上りはじめました、約30分ほどで城門が見えてきてその脇のトイレで又も貧血で気を失いかけた(数十秒失った)が回復してトイレ横のベンチで休憩をして高梁城の城門をくぐった所、霧は無く快晴のぬける青空がいっぱい、「朝霧は快晴」に納得して写真を撮りまくりました。こんなドラマチックなお城めぐりはそうは無い経験でした。
テレビドラマなどでもお馴染みの有名な歌舞伎役者が5、6年前に「お城の中で高梁城が一番好きで、時間を見つけて高梁城の険しい山を登る」と高梁城の魅力を語ったのを聞き、その頃からの思いが達成出来たのが一番でした。高齢者には厳しい山道なので、足腰に自信の無い方は無理しない方が良いと思います。休みやすみ、ゆっくりと時間をかけて登れば可能だとは思いますが。
私も又、機会が有れば再度、登城して見たいと思っています。づっと歳が行ってからも挑戦したいです。
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福山城 | 広島県 福山市 |
別名「久松城」。福山城は1619年備後10万石の領主となった水の勝成は、中国地方に配置された最初の譜代大名で、岡山、広島の両外様大名の間に割り込み、1622年福山に西国鎮衛の役割を果たす城郭を完成させた。5層6階の天守は複合天守で、江戸時代築城の天守としては随一の建造物との評価があった。戦災で焼失後昭和41年再建なかなかの名城
阿部伊勢守 10万石
復元天守
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尾道城 | 広島県 尾道市 |
尾道は坂の町お城も山の上、現在は廃城で見られないそうですね。
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広島城 | 広島県 広島市 |
別名「鯉城」。広島城は戦国時代末期に毛利輝元が、現在の地に城を築いた。昭和6年天守閣は国宝に指定されたが、原爆で全壊した、現在の天守閣は昭和33年、築城当時の姿で再建された。紅葉饅頭、食べながら広島城、市民球場と原爆ドーム、足を伸ばして宮島、厳島神社
松平安芸守 42万6千石
復元天守
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松江城 | 島根県 松江市 |
松江城は関が原の戦功により出雲の領主となった、堀尾吉晴により築城され、京極氏、松平氏と234年間平穏な時を経た、別名「千鳥城」と呼ばれる。明治8年まで残されていた、城内の建物は全て壊されたが天守閣だけは勇志の奔走により保存された。天守閣は複合天守5層内部6階の桃山風の勇壮な手法が見られる。宍道湖の夕陽と松江城
築城 慶長16年(1611) 五層六階 現存 古天守閣、石垣、堀
松平出羽守 8万6千石
登城 平城で楽も駐車場から、お城を見てお堀一周して武家屋敷など見て戻るとかなりの時間が
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岩国城 | 山口県 岩国市 |
別名「横山城」。岩国城は吉川広家が1608年に築城したが、幕府の一国一城の令により1615年に破却された、その後350年の間山頂は廃墟のままであったが、昭和37年桃山風南蛮造りの天守閣が再建された。天守閣からは名勝「錦帯橋」や瀬戸内海の島々が一望できる。
吉川監物 6万石
復元天守
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★ 四国地方のお城 |
撫養城 | 徳島県 鳴門市 |
撫養城「むや城」と読み鳴門市内の岡崎海岸近くの妙見山に有る「岡崎城」とも呼ばれる、近くに「清少納言」のお墓や、紀貫之の記念館も有り平安ロマンを満喫できる。1585年蜂須賀家政が阿波に入国して9ヶ所に城塞を設けた、阿波の九城で、撫養城は淡路渡海の押えとされた。現在は鳥居記念館として公開しています。
模擬天守
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日和佐城 | 徳島県 日和佐町 |
徳島から国道55号で2時間余り、道の駅「日和佐」はJR「日和佐駅」と裏表で存在、駅側の山上を眺めれば白亜の天守閣見える。
日和佐城は1500年代の初頭に、日和佐の豪族「日和佐肥前守」が阿波の南部侵入を目指す土佐の長宗我部勢を防ぐためにこの地に城を築いたと伝えられるが、「日和佐塁跡、城山と称す。石垣所々に散在す」と有るも現在では、所々に存在した石垣も見当たらず構造などは不明で要害の地ながら城の構えは簡素な山城で有ったと推測されるのみである。現在の城は観光用に建てられたもので、天守閣は窓で外へは出られないが、窓越しの景色は清流の日和佐川を挟んで日和佐の町並みなど人気が有る。
天正3年(1575)阿波の海部郡に侵入して宍喰、海部の2城を陥した長宗我部元親は海部城に弟の香曽我部親秦を置いて阿波攻略の拠点として残る諸地域への侵攻を展開した。日和佐城主「日和佐肥前守」が長宗我部勢の香曽我部親秦の起請文を受けて軍門に降ち、天正6年(1576)に長宗我部元親より正式の起請文を受領して以降、肥前守の名は史書から消え、跡を継いで城主となったのは、肥前守の弟の日和佐権正で有る。
日和佐権正は天正13年(1585)豊臣秀吉の四国征伐に敗れた。
日和佐肥前守が造った城は天正13年(1585)蜂須賀家政が阿波に入国した際に廃城となった。
7月の海の日には海がめ祭りが行われ賑わう。
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高松城 | 香川県 高松市 |
高松駅前の玉藻公園に高松城が有ります別名「玉藻城」。天守閣跡に玉藻廟が有るが御神体は移されて建物のみ残る。重要文化財に指定されている「月見櫓」「うしとら櫓」が有る。生駒親正により築城された平城(水城)。1642に水戸光圀の兄「松平頼重」が讃岐一国12万石の城主として入城、中国、四国の観察役を命じられたと伝えられている。
歴代城主は生駒4代、松平11代続いた。
高松城は国宝の彦根城と姉妹城縁組をしています。井伊直弼の次女「千代姫」が11代藩主、松平頼聰に輿入れした縁から昭和41年に結ばれたとか。
松平讃岐守 12万石
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丸亀城 | 香川県 丸亀市 |
別名「亀山城」。丸亀城は讃岐の生駒親正が、高松城築城ののち、1597年から5年かけて築いたが、1615年の幕府の一国一城の令により廃城となった。しかしその後1641年に天草富岡城主から丸亀に移封された山崎家治によって大修築が行わて今日の丸亀城が築かれた。丸亀城の特徴は石垣の美しさにある。天守閣に向かった石垣の曲線は天下一品の芸術品、木造の天守閣は重文に指定されている。別名は「亀山城」。金毘羅参りと丸亀城
築城 寛永20年(1854) 三層三階 現存 古天守閣、櫓、門、石垣、堀
京極佐渡守 5万1千石
登城 山城なので、少し苦労して登ると丸亀の市内一望出来る
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今治城 | 愛媛県 今治市 |
別名「吹揚城」。今治城は380年前、「藤堂高虎」によって築城されたお城、お城造りのエキスパートらしく三重の堀に海水を引き入れた大規模な海城で、軟弱な地盤を補う為に石垣の下には犬走りを巡らした、現在も残る内堀には鯛や平目などの海魚が泳いでいる。本四連絡橋、しまなみハイウエーに沿って観光の拠点に。 インターから駅に向かう途中に、お城と見間違う大きな建造物が出現間違えない様に、今治城は、まだ3キロから先に有る。
松平駿河守 3万5千石
模擬天守
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川之江城 | 愛媛県 川之江市 |
別名「仏殿城」。川之江にも立派なお城が、四国の高速道路の要の位置、川之江ジャンクションは四国四方を結んでいる四国の中心位置。
川之江城の築城は南北朝動乱の頃、伊予の豪族、河野氏の砦として土肥義昌が築いたのが始まりとそれている。
歴史的には長曽我部氏により落城後、羽柴秀吉の四国平定で、小早川、福島、池田、小川と領主は目まぐるしく替わり、加藤嘉明の時代に「一国一城令」によって最終的に廃城になった。現在のお城は昭和61年に再建されたもの。
模擬天守
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松山城
| 愛媛県 松山市 |
別名「勝山城」。松山城は1602年加藤嘉明によって築城された。道後温泉と「坊ちゃん」の街に有る松山城は別名「勝山城」「金亀城」とも呼ばれ、姫路城、和歌山城と日本三大連立式平山城だとか、何だ、これは、と言う方は是非訪れて見て下さい。15万石の城下町。40年に一度の改修工事も終わりにぎわっています。
4月3日〜5日に松山春まつりが行われる(松山お城まつりと道後温泉祭りが一本化された)
築城 安政元年(1854) 三層四階 現存 古天守閣、櫓、門、石垣、堀
松平隠岐守 15万石
登城 山城でロープウエーで山頂まで行く、下車してお土産屋が並ぶ
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大洲城 | 愛媛県 大洲市 | 男はつらいよ「寅次郎と殿様」で大洲は舞台になってたね。マドンナは真野響子で。別名「比企の城」大洲城は平成16年の市制50周年を目指して4層4階の天守閣の復元を進められた。取り壊し前の明治時代の写真も残っているので、かなり正確な再現がなされた。内部は鉄筋で展示物はほとんど何も無く、500円の入館料は驚きも、寄付と思えば・・・、お城の写真を撮るには訪れてみても。
築城の歴史は鎌倉時代までさかのぼるが、安土桃山時代に、羽柴秀吉の四国平定後、道後湯月城を本拠とする小早川隆景の枝城となり、天正15年(1587)戸田勝隆16万石で大洲入城。その後、藤堂高虎が代官を勤めて大洲を居城になる。
加藤遠江守 6万石
復元天守
≪大洲城探訪記≫松山自動車道の大洲インターで降り、国道56号を大洲市街へ向かう、伊予大洲駅をすぎて肱川の橋を渡る頃に大洲城が右手に現われる、大洲の町は城下町の雰囲気では無いが古い町並み、何か余所者を受け入れない昔ながらの雰囲気も有る感じ。橋を渡り終えてすぐに右に折れて、後は案内標識に沿って車を進めると市営の有料駐車場があった。
平日の夕方近かった為か停まっている車は少ない。
駐車場の裏へ路地を歩くとすぐに小高い山の上に、お城が見えてきた。
お城へ向かう山道は走ってでも走れる舗装した道路だが一般の車は走れない、
歩いても苦にならない道のり。
お城は写真を撮って下さいと言わんばかりの撮影ポイント多い、じっくりと写真を撮り城内へ、
入場料500円は、直前の川之江城が100円だったので滅茶苦茶高く感じたが入城、内部は昨年出来たばかりの為にピカピカ、鉄筋のビルでは無く復元しているので、木造の階段は急勾配の昔の雰囲気を出している、
係員が随時ピカピカに磨いているので、新築の階段は何かアンバランスに思えたが、綺麗な方が気持ちが良いので深くは追求しないで内部を見て回る、
展示物がほとんど無いのに驚きを隠せないまま天守閣へ、
天守は窓だけで外へは出られない。肱川の河川敷の不思議なカラーテントを眺めて見学終了
綺麗な手すりに掴まって急勾配の階段を階下へ、大洲城の再建の寄付一覧表を見て玄関へ、ここでも募金箱、これだけのお城の再建には莫大なお金がかかったのだと思いつつ城外へでました。
前述の川之江城がおばちゃん一人?で頑張っていたのに、ここのお城は多分、数十人の職員がいると思われ維持費用もかかるのだと言う感想。
大洲城は城内の見学より、お城の外観を鑑賞するのを目的として行く事をお薦めするお城のようです。でも行ったら入城はするでしょうけど。
何年か先に、もう一度訪れた時は変わっているのでしょうね。
尚、伊予大洲駅も工事中でテント張ってあったのにはガッカリ、再訪予定?
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宇和島城 | 愛媛県 宇和島市 |
別名「鶴島城」。宇和島城も「藤堂高虎」によって築城された平山城で三層三階の天守閣は江戸時代初期の貴重な天守閣として重文に指定されている、別名「鶴島城」。宇和島は闘牛が有名でお城のそばに闘牛場が?
築城 寛文5年(1665) 三層三階 現存 古天守閣、石垣
伊達遠江守 10万石
登城 山城で麓からはかなりキツイので用心、近道の石段は急、城の階段も急
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高知城 | 高知県 高知市 |
別名「大高坂城」。高知城は山内一豊により築かれた別名「鷹城」は1727年の城下町の大火によって天守閣はじめ大半の建物を焼失したが1753年全面的な復旧工事が行われて、創建当時の姿をよく伝えている。江戸中期の再建とは云え天守閣、書院、櫓、門等がほぼ完全にそろっている、本丸の遺構は特に価値の有る物として残っている。昭和25年までは国宝だった(現在は重文)
現在石垣の修復と発掘をしていて、新たな発見も有ったそうです。本丸の石垣ではないので、本丸の見学は大丈夫。
高知城が築かれた土佐の「大高坂山」は「河中山」と改められて、その後「高智山」と改名された。この「高智山」が高知の地名のはじまり。
坂本竜馬と土佐の高知の「はりまや橋」、24万石の城下町
築城 延享4年(1747) 四層六階 現存 古天守閣、櫓、門、石垣、堀
松平土佐守 24万石
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中村城 | 高知県 四万十市 |
中村市は平成の大合併で四万十市になりました。最後の清流として知られる四万十川を持つ四万十市は、高知市から車で国道56号をひたすら足摺岬方向へ走る事3時間、旧中村市の中村駅が中心となる。
お城は山上で車で登れるが細い険しい道、催しが開催される時は麓の駐車場で降ろされる。
お城は「四万十市立郷土博物館」が正式名で「中村城」は何処にも出て来ない。館内には「ニホンカワウソ」などが展示されていて、お城に関する資料は少ない。
公家大名の「土佐一条教房」が一条家の荘園で有った幡多庄に下向して以来106年続く、この時代の山城二の丸に犬山城をモデルとした中村城が造られた。(犬山城に似てるとは思えないが?)
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★ 九州地方のお城 |
小倉城 | 福岡県 北九州市 |
別名「勝山城」。小倉城は1600年細川忠興が豊後40万石を与えられ入国し1602年に大規模な築城を行った。1632年細川氏は熊本に移封して、その後小笠原氏15万石の居城となり10代230年続いた、1866年城は焼失して、現在の小倉城は昭和34年に再建されたもの。一風変わった天守閣は唐造り呼ぶもので、4階と5階の間に屋根ひさしがなく、5階が4階より大きくなっている。小倉駅から市役所へ歩いて行くと自然と出くわす。
館内はビデオから、様々な展示が有り、350円の入場料は安すぎとも、案内嬢も多く(休日だから?)十分楽しめます。
小笠原左京太夫 15万石
復元天守
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府内城 | 大分県 大分市 |
別名「白雉城」。大分市の駅から数百メートルの位置に城址公園があります。城跡は旧状をとどめる堀、土塀、宗門櫓、人質櫓、櫓(天守台)が残る、堀沿いに各隅に櫓がやたらと有るのが印象的です。
府内城は1597年に福島直高により逐次用が始められ、直高の領地没収により中断、早川長敏が受け継いだが、関が原の合戦で西軍に加担して取り潰される。 次いで翌年、竹中重利が入封して築城工事を再開、石垣の逐次用には熊本藩の加藤清正の援助を受けるなどして、1602年に4重の天守閣が完成、続いて城下町の建設が始められて、豊後最大級の城下町が完成しました。
松平左衛門尉 2万1千石
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中津城 | 大分県 中津市 |
別名「扇城」中津城は1597年九州を平定した豊臣秀吉は黒田孝高を中津16万石に封じ、翌年築城した。海中には海からの侵入に備えた防塞築城した水城である。黒田氏が14年、その後細川忠興が32年、小笠原氏が5代84年間、その後奥平氏が9代155年間治めた。
石垣から落ちそうな天守、地震が来たら怖そうな造りでした。日本三水城の一角。
徳川時代の楽しい資料が沢山有って、訪れると勉強になりますよ。是非一度訪れてみては。
奥平大膳太夫 10万石
模擬天守
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臼杵城 | 大分県 臼杵市 |
臼杵城跡では現在大がかりな発掘作業をしています。現在は大門櫓と櫓2基が有るが、稲葉氏の入城直後の17世紀初頭のものが18世紀の大火で焼失、明治5年に再建されたもの。
臼杵市は四国の八幡浜からフェリーが出て快適な船旅が楽しめる、高速道路も大分道で便利。
国宝の臼杵石仏も観光の目玉。
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唐津城 | 佐賀県 唐津市 |
別名「舞鶴城」唐津城の有る唐津市は魏志倭人伝に松浦の名で記された、韓や唐へ渡る最短の港(津)とて発展した、1595年豊臣秀吉の臣「寺沢広高」が唐津松浦を領し秀吉没後、関が原合戦の功により天草4万石を加増され12万5千石の大名となり1608年に唐津城を完成させた。現在の天守閣は昭和41年に初期の天守台跡に再建されたものです。 お城下から有料エレベータ(100円)利用出きるが、徒歩でも楽々5分ほど、虹の松原と唐津焼きが有名、食べ物も美味しい唐津、是非探訪を
小笠原佐渡守 6万石
模擬天守
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名護屋城 | 佐賀県 鎮西町 |
名護屋城は秀吉の朝鮮への進行に使われたお城?加藤清正が城主だったよね。歴史的には、他のお城以上に貴重だが、現在のアジア近隣諸国との難しい政治状況の下、覆い隠されようとしています。400年前の事なのだから、もっとリラックスして歴史に触れたいですね。そんな訳で再建は困難でしょう
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島原城 | 長崎県 島原市 |
別名「高来城」。島原城は1616年松倉重政が7年余りをかけて築城したのが島原城、以後、松倉氏、高力氏、松平氏、戸田氏、松平氏と4氏19代の藩主の居城となった、その間1637年には幕府の厳しいキリシタン弾圧に抗して信徒達が天草四郎を盟主に蜂起し島原城を攻撃した島原の乱などは良く知られている。現在の天守閣は昭和39年に再建されたもので、装飾的な破風のない層塔風総塗込め式で昔の姿を再現している。内部はキリシタン史資料を中心に郷土歴史館として運用されている。普賢岳で有名な雲仙島原 現在普賢岳噴火の記録を記念館で上映、火山災害の怖さ被災と復興をドキュメントとして公開中
松平主殿頭 7万石
復元天守
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平戸城 | 長崎県 平戸市 |
別名「日ノ岳城」。平戸城主松浦氏は、平安時代以来の豪族で1599年26代松浦鎮信が日之獄城(古城)を築いたのが平戸城の起源です。しかし14年後、幕府の意図を察知した鎮信が自ら焼失せしめて以降100年にわたり松浦氏は築城をさけ麓の御館(おんたち)に居住した、30代松浦棟の代に再築が許可され1707年古城跡に平戸城(新城)が築かれた、以来平戸藩2万3千石の居城として続いた。明治維新後廃城となったが昭和37年に再建された。平戸大橋と平戸城、亀岡城と言ったお城は山鹿流の築城法 平戸大橋(有料100円)を渡るとすぐに見えてくる。天守からの景色は最高、平戸への観光はお薦めコース
松浦豊後守 1万石
模擬天守
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熊本城 | 熊本県 熊本市 |
熊本城は関が原の戦い後加藤清正が幾多の実戦経験を生かして市内中心部にある茶臼山台地を全面的に利用して1607年に完成させた東高西低の堅城です。別名「銀杏城」と云うこの城を清正は居城として肥後一円を支配したが加藤家の治世は2代45年で終わり、1632年細川氏が入封、明治まで11代240年の居城として続いた、明治10年の西南役にさいしては不落の城としてその真価を発揮した事は有名。現存する宇土櫓ほか12棟の古建造物は重文に指定されている。現在の天守閣は昭和35年に熊本市が再建したものです。肥後熊本は阿蘇と天草、日本三名城の一つ、では、後の2つは何処と何処でしょう? 現在400年祭で本丸御殿建造工事中で2007年完成予定、お城の規模は大きく、本丸以外の櫓でも五層櫓など、他のお城にひけを取らない威容を誇る お城は8時30分から開門、開門しないと、お城の有る上へは登れない。
細川越中守 54万石
復元天守
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綾城 | 宮崎県 綾町 |
国際クラフトの城、綾城は1331〜1334年頃に足利尊氏の家臣、細川小四郎義門が、この地方に下向を命じられ、その子、義遠が綾を領有して築城したと伝えられている。義遠は築城後、氏を「綾」と改めている。
綾氏は数代城主としてこの地方を治めていたが室町時代に八代将軍義政の頃、都於郡城を居城として日向の国の大豪族になった伊東氏の家臣となって伊東四十八城の一つとなり伊東方の要城としての役割を果たした。1577年伊東氏が島津氏に敗れ豊後(大分)に落ちてから島津氏の支配下になった。
綾城は戦国時代のお城とは違い、中世山城のおもむきの有る城として再建されています。
宮崎県東諸県郡綾町!最近無農薬野菜で人気急上昇の町として、自然いっぱいの町としてマスコミで取り上げられ人気に。
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鹿児島城 | 鹿児島県 鹿児島市 |
島津77万石の居城であるが、現在は堀と石垣の一部が残るのみ
鶴が翼を広げた形をしていたので別名を鶴丸城というが、お城は無いのでむなしい。再建が望まれるが果たして。
歴史的には明治6年の大火で焼失する前には天守閣もなく質素な屋形造りであった。
松平薩摩守 77万石
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首里城 | 沖縄県 那覇市 |
首里城は沖縄の元々の王様のお城(琉球王朝の中心としてのお城)?築城は14〜15世紀頃とされている。、第2次大戦により焼失してしまったのを1712年から焼失までの期間の首里城を基に復元されている。どちらかと云うと清の紫禁城のイメージと重なる所が多い。
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